『名古屋城 石垣修復現場見学会』 番外編その53
『名古屋城伝統の技にふれる2014 石垣修復現場見学会』
平成26年1月12日(日) 10:00~(午前の部)
本丸搦手馬出(ほんまるからめてうまだし) 石垣修復現場
当選ハガキ
春風亭昇太師匠の影響なのか、最近「城」に興味が、、、。
「石垣修復現場見学会」に申し込んだら当たりました。
午前と午後の60名ずつ計120名の定員に対し、応募が730名で約6倍の倍率。
これでも当初の予定より、参加人数を倍に増やしたとのこと。
よく当たったものだ。
午前の部。
日差しが暖かくてよかった。
60名をA班とB班の2つに分け、「修復現場」と「取り外したした石」を交互に見学。
A班が先に「修復現場」へ。
本来は濠ですが、工事のため土を入れスロープに。
工事現場ということで、ヘルメット着用。
内側なので普段は見られないであろう、石垣の刻印も間近に見られる。
石垣の構造が見える。
普段見えている面は細長い直方体の一面。
その後ろに栗石(ぐりいし)が入ることで水はけを良くしている。
本来、石垣は反っているものだけれど、赤いテープが貼られた石が外側に膨らんでいる事が分かる。
このままだと崩落する恐れがあり、修復することになったそう。
外した石は極力元通りにするため、番号で管理。
位置関係をみるため、縦横に線も入れてある。
「修復現場」後は、「取り外した石」の見学へ。
埋まっていたため、石の表面に墨書が残っている。
石を割るための矢穴の跡も。
刻印や墨書が何を意味するのか、どの大名のものなのかは今後の研究課題。
はっきりしたことは分かってないことが多いそう。
間近で見ると一つ一つの石の大きさに驚かされる。
各地から運んで来て、積み重ねたその労力。
慶長15年(1610年)に造られ、天和2年(1682年)に修復の記録がある。
今回の修復もそれだけの長い年月に耐えられるように行うとのこと。
学芸員の方の解説や工事担当者の方の話を伺え、あっという間の1時間。
きちんとメンテナンスして、後世に残って欲しいですね。